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第3回:清の遣琉使趙新の琉球滞在中賓主双方の贈答品についての分析 |
徐, 玉虎||ジヨ, ギヨクコ |
冠船貿易について一考察 |
準備態勢を中心に |
豊見山, 和行||トミヤマ, カズユキ |
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1838年と1866年の冠船貿易 |
朱, 徳蘭||シユ, トクラン |
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両種刊本的『中山傳信録』 |
和田, 久徳||ワダ, ヒサノリ |
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故宮博物院蔵史料から見た『歴代宝案』の史料的価値 |
莊, 吉發||ソウ, キチハツ |
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『歴代宝案』編集事業スタート |
名嘉, 正八郎||ナカ, シヨウハチロウ |
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中国所在の琉球人墓とその歴史的意義 |
高良, 倉吉||タカラ, クラヨシ |
現代沖縄の墓地風水について |
与那国島を中心とした比較研究 |
渡邊, 欣雄||ワタナベ, ヨシオ |
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沖縄廚子甕之佛教性考察(中文提要) |
和田, 考文||タダ, タカフミ |
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沖縄の「洗骨」をめぐる問題 |
玉木, 順彦||タマキ, マサヒコ |
沖縄與臺灣的地租改革事業 |
土地整理與土地調査事業(中文提要) |
田里, 修||タサト, オサム |
日本殖民地教育之始末 |
芝山巖事件及霧社事件(中文提要) |
石堂, 徳一||イシドウ, トクイチ |
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中琉石敢当の新考 |
莊, 伯和||ソウ, ハクワ |
清末のジャーナリズムと琉球問題 |
廃琉置県の前後 |
西里, 喜行||ニシザト, キコウ |
「中華世界帝國」と琉球王国の地位 |
中西国際秩序原理の葛藤 |
張, 啓雄||チヨウ, ケイユウ |
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脱清人と分島問題 |
赤嶺, 守||アカミネ, マモル |
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琉球の「大交易時代」とグスク |
當真, 嗣一||トウマ, シイチ |
朝鮮漂流人對琉球的瞭解 |
以朝鮮、中国、琉球三國關係為主 |
李, 〓煕||リ, ゲン |
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首里城の建築と復元工事 |
又吉, 真三||マタヨシ, シンゾウ |
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古琉球学制と孔孟思想 |
楊, 仲揆||ヨウ, チユウキ |
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蔡温の学統について |
糸数, 兼治||イトカズ, カネハル |
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The transmission of neo―confucianism to the Ryukyu islands and its historical significance |
Steben, Barry D. |
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儒教と琉球に於ける教育文化の影響 |
菊地, 藤吉||キクチ, トウキチ |
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古琉球における農耕技術の地域色と系譜 |
安里, 進||アサト, ススム |
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石垣島の農耕初探中国東南沿海地区の音楽文化が |
劉,寧顔||リユウ, ネイガン |
琉球の音楽文化に与えた影響 |
曲調の考証を中心に |
王, 耀華||オウ, ヨウカ |
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謝花雲石の書道研究より中琉翰墨を論ず |
張, 希哲||チヨウ, キテツ |
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琉球の程順則の寵文詩作の研究 |
李, 猷||リ, リユウ |
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沖縄本島発見の明刀銭について |
高宮, 廣衛||タカミヤ, ヒロエ |
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中国唐代貨銭「開元通寳」と琉球圏の形成 |
安里, 嗣淳||アサト, シジユン |
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朝鮮系統粉青瓷器在琉球瓷器中之地位 |
李, 亨求||リ, キヨウキユウ |
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琉球と澎湖地区で発見された元代の陶磁器について |
陳, 〓光||チン, ケイコウ |
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中国大陸と列島文化 |
中本, 正智||ナカモト, マサチエ |
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明琉関係についての若干の認識 |
張, 存武||チヨウ, ソンブ |
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琉球久米系家譜の研究 |
陳, 捷先||チン, ヨウセン |
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明代の〓南と琉球との航路史実について |
楊, 國〓||ヨウ, コクテイ |
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明朝が琉球人に賜えた三十六姓についての若干問題 |
謝, 必震||シヤ, ヒツシン |
中国文化と世界の前途 |
第三回中琉歴史関係国際学術会議特別講演 |
陳, 立夫||チン, リツプ |
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第3回:清の遣琉使趙新の琉球滞在中賓主双方の贈答品についての分析 |
徐, 玉虎||ジヨ, ギヨクコ |
冠船貿易について一考察 |
準備態勢を中心に |
豊見山, 和行||トミヤマ, カズユキ |
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1838年と1866年の冠船貿易 |
朱, 徳蘭||シユ, トクラン |