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論文(リポジトリ)

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金, 永元 ; 許, 永錫 ; Kim, Yeong Weon ; Heo, Young Seuk
出版情報: 琉球大学学術リポジトリ公開記念講演会発表抄録集「貴重資料と機関リポジトリ」.  pp.15-37,  2007-11-16.  琉球大学学術リポジトリ事務局
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/2768
概要: 平成19年(2007年)11月16日に開催された「琉球大学学術リポジトリ公開記念講演会」における講演予稿集。<br />Proceedings of the Formal Operation Memorial Seminar o f University of the Ryukyus Repository, 2007. “Historical Rare Materials and Institutional Repositories”. November 16, Friday 2007. Organized by the University of the Ryukyus. 続きを見る
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Miyazato, Atsuko ; 宮里, 厚子
出版情報: 琉球大学欧米文化論集 = Ryudai Review of Euro-American Studies.  pp.73-88,  2006-03.  琉球大学法文学部
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/2721
概要: 本稿で取り上げる作品は、戦後生まれのアート・スピーゲルマン(アメリカ、1948~)とパトリック・モディアノ(フランス、1945~)が、ユダヤ人であるそれぞれの父親がどのようにナチ時代のヨーロッパを生きのびたかを描いた物語である。しかし作品で は同時に、父親と作家である息子との関係も描かれており、本稿はこの点に焦点を当てたものである。戦争によって価値観や生き方を覆された父親の性格や行動は、息子にとって理解しがたいものであり、それを理解しようというのがそれぞれの作品の原点となっている。したがって作品を通して、息子たちがどのように父親を理解しようとしているのか、あるいは父親に対する困惑や嫌悪の感情とどのように折り合いを付けようとしているのか、そして理解あるいは和解できたのかということを検証していきたい。さらに、父親の生き方が息子の人生に与えた影響を探り、つまりは戦争が戦争を知らない世代に与えた影響も見ていく。ところで、この論文を書くうえで確認しておきたいのは、ここで取り上げるMausが漫画という表現形式をとっていることである。しかしその内容は、作者も強調している通りノン・フィクションであり、世界各国の批評家から高い文学的評価も受けているため、ここでは取り上げる2作品における漫画と小説という表現方法の違いを問題にはしないということを付け加えておく。 続きを見る
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Till, Weber
出版情報: OAG Notizen.  5  pp.12-30,  2006.  OAG Deutsche Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens — ドイツ東洋文化研究協会
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/421
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Miyazato, Atsuko ; 宮里, 厚子
出版情報: 琉球大学欧米文化論集 = Ryudai Review of Euro-American Studies.  pp.37-53,  2005-03.  琉球大学法文学部
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/2726
概要: モディアノと目取真はそれぞれ1945年(パリ)と1960年(沖縄)生まれで戦争を直接体験していない世代であるにもかかわらず、彼らの作品には常に戦争の記憶が語られている。この論文では、これら戦後生まれの作家がナチス占領時代のパリや沖縄戦をどの ように描いているのか、なぜ描くのかという問いを通して、戦争を知らない世代が戦争を描く意義とその可能性を考えていきたい。彼らがなぜこの時代に固執するのかという点に関しては、忘却との闘い、社会に対する一種の挑発、自らのアイデンティティの確認などが考えられる。彼らは罪悪感や歴史の暗部に関わったという理由から戦争の記憶を「語らない」人物たちを描くことによって、これまでの「語られた物語」である証言文学あるいは記録文学といわれるジャンルとは違った戦争体験の記憶と、さらにその記憶を語らない体験者たちの在り方を含めた全体像を描くことに成功しているといえる。一方、シュールレアリスムあるいはマジック・リアリズムという手法を使った語りも証言文学とは一線を画し、「小説」として作品を位置づけるものとなっている。その一見「非現実的」とも見える手法にもかかわらず、作品は忠実に戦争の現実を伝えていると言える。 続きを見る
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西里, 喜行 ; Nishizato, Kiko
出版情報: 琉球大学教育学部紀要.  67  pp.307-329,  2005-09.  琉球大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/348
概要: The collisions between China and France about the Suzerainty over Vietnam became sharper after the 1870's. In the f irst half of the 1880's, the Sino-French War broke out, and as a result of the defeat, China lost the Suzerainty over Vietnam. At the same period, a lot of chinese newspaper commented upon the Vietnam problem, and the many articles about the Sino-French War were to be seen in the newspapers almost every day. particulerly the Xunhuan Ribao (循環日報) in Hongkong, the Shenbao (申報)in Shanghai and the Shubao (述報) in Guangzhou inspired the Chinese with patriotism. In this text, the articls and the editorials printed in the above-mentioned three newspapers concerning the Vietnam problem are collected in order of the date. 続きを見る
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Miyazato, Atsuko ; 宮里, 厚子
出版情報: 琉球大学欧米文化論集 = Ryudai Review of Euro-American Studies.  pp.61-75,  2004-03.  琉球大学法文学部
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/2730
概要: ミシェル・トゥルニエは1986年に出版した小説の中で、主人公Idrissが北アフリカの砂漠の村を出てパリへ向かう物語を描いている。このなかで著者は現代西洋世界における映像(image)文明の行き過ぎを批判し、若者のイニシエーションが阻害され ている現状を取り上げている。また西洋のimage文明のアンチテーゼとしてイスラムのsigne文化に敬意を表し、なかでも特にimageとsigne、西洋文化とイスラム文化の融合を可能にするアラビア文字書道の精神性を高く評価している。 本稿では、自ら写真を趣味とし、写真や写真家に関するエッセイも多く書いているトゥルニエがなぜ映像文明と距離を置くようになったのか、その理由をエッセイやインタビューなどから探るとともに、彼の考えるimageの危険性とsigneの精神性について考察する。一方、その処女作『フライデーあるいは太平洋の冥界』で文明人ロビンソンの自然回帰のイニシエーションを描いた著者が、その逆の設定である砂漠の少年の西洋文明でのイニシエーションをどのように描いているのかという点にも注目し、イニシエーションという枠のなかで現代西洋世界がどのように位置づけられているのかを作品を通して見ていく。 続きを見る
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西里, 喜行 ; Nishizato, Kiko
出版情報: 琉球大学教育学部紀要.  pp.465-483,  2004-02.  琉球大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/347
概要: The collisions between China and France about the Suzerainty over Vietnam became sharper after the 1870·s. In the first half of the 1880's, the Sino-French War broke out, and as a result of the defeat, China lost the Suzerainty over Vietnam. At the same period, a lot of chinese newspaper commented upon the Vietnam problem, and the many articles about the Sino-French War were to be seen in the newspapers almost every day. particulerly the Xunhuan Ribao (循環日報) in Hongkong, the Shenbao (申報) in Shanghai and the Shubao (述報) in Guangzhou inspired the Chinese with patriotism. In this text, the articls and the editorials printed in the above-mentioned three newspapers concerning the Vietnam problem are collected in order of the date. 続きを見る
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Till, Weber
出版情報: 言語文化研究紀要 : Scripsimus.  pp.25-43,  2004-10.  琉球大学法文学部国際言語文化学科欧米系
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/417
概要: 本稿は、日本に来た最初のドイツ人の一人、ウルム(Ulm)出身の鋳物師(Stückgießergeselle:平時には鐘や大型の料理用鍋、戦時には大砲の砲身を鋳造)ハンス・ヴォルフガング・ブラウン(1609年~1655年 以降)を扱っている。ブラウンは、1627年彼の故郷ウルムを去り、30年戦争の影響をあまり受けなかったアムステルダムへ行った。 日本へ彼がやって来たのは、他の初期のドイツ人と同様、オランダ東インド会社(VOC)の任務の為であった。1639年彼は九州の平戸でオランダの商館長フランソワ・カロンの命により徳川幕府の為に三門の臼砲を鋳造した。幕府は、前年に島原を攻囲した際(島原の乱)の苦い経験から、攻城の為にこの新種の武器に大いなる興味を示した。オランダ人にとってこの技術の輸出は、鎖国政策を完結する最終段階に及んでは、将軍の好意を得る打って付けの好機であった。1639年6月16日東京の麻布で、幕府の代表者らの面前でブラウンが鋳造した臼砲の試射が劇的に行われ、成功裏に終った。カロンの日記や『徳川実紀』によれば、ブラウンは沢山の報奨金と褒美を得たという。 オランダ人が1640年~41年日本国外追放の運命から逃れ、長崎出島に留まることを許可された一方で、日本に近代兵器の技術を提供するという彼らの気力は益々失せていった。1650年以来、幕府の臼砲に対する興味も薄らいで行った。西洋の作家たち(例えばペリン 1979年)や「ザ・ラスト・サムライ」(2003年)のような映画は、誤った歴史像を大衆に伝えようとしているが、実際には火器は一般には幕府や大名、あるいは侍から拒絶されてはいなかった。なるほど16世紀から18世紀まで日本における火器はさまざまな流派の極秘の知識としてのみ知られ、故に公にされてはいなかった。しかし平戸の松浦史料博物館の千歳閣に展示されている小臼砲、城門破り用砲筒(恐らくは18世紀)のように、実際に博物館に展示品として所蔵されている例もあるので、その後も少しは西洋の臼砲技術へ近づこうとしていたことが窺える。 ハンス・ヴォルフガング・ブラウンに関しては、彼が1640年以降にアムステルダムへ戻り、結婚し、1649年から1653年まで彼の故郷であるウルムで暮らしたことが知られている。彼がそこに住んでいた、ということが高く評価されている。そのことは、ウルム市議会の決議やヨゼフ・フルテンバッハの手書きの市の年代記によって裏付けられる。ブラウンに関する最後の記述には、1655年再びオランダ東インド会社(VOC)の任務でバタビヤ(ジャカルタ)の市の城壁でcapo、すなわち大尉として重火器に従事していた。と書かれている。以下のラテン語の碑文が、ブラウンによって最初に平戸で鋳造された臼砲に刻まれている。 HANS WOLFGANG BRAVN VON ULM ME FECIT FIRANDO 1639 (ウルム出身のハンス・ヴォルフガング・ブラウンが1639年平戸で製作した.) この臼砲は1930年代まで東京の遊就館で展示されていた。1945年アメリカ軍がこれを押収し、それ以来この臼砲の行方は分かっていない。しかし1936年に複製された臼砲がウルム市博物館にあり、この臼砲を基に東京の遊就館の為に一門が鋳造された。そしてこの臼砲を基にさらにもう一門が2000年、日蘭交流開始400年記念祭を機会に、平戸の松浦史料博物館の為に鋳造されている。 続きを見る
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西里, 喜行 ; Nishizato, Kiko
出版情報: 琉球大学教育学部紀要.  pp.357-387,  2003-09.  琉球大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/346
概要: The collisions between China and France about the Suzerainty over Vietnam became sharper after the 1870's. In the f irst half of the 1880's, the Sino-French war broke out, and as result of the defeat, China lost the Suzeralntv over Vietnam. At the same period, alot if chinese news paper commented upon the Vietnam problem, and the many articles about the Sino-French war were to be seen in the newspapers almost every day. particulerly the Xunhuan Ribao (循環日報) in Hongkong, the Shenbao (申報) in Shanghai and the Shubao (述報) in Guangzhou inspired the Chinese with patriotism. In this text, the articls and editorials printed in the above-mentioned three newspapers concerning the Vietnam problem are collected in order of the date. 続きを見る
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西里, 喜行 ; Nishizato, Kiko
出版情報: 琉球大学教育学部紀要.  pp.347-363,  2003-03.  琉球大学教育学部
URL: http://hdl.handle.net/20.500.12000/345
概要: The collisions between China and France about the Suzerainty over Vietnam became sharper after the 1870's. In the f lrst half of the 1880's, the Sino-French war broke out, and as a result of the defeat, China lost the Suzerainty over Vietnam. At the same period. a lot of chinese newspaper commented upon the Vietnam problem, and the many articles about the Sino-French war were to be seen in the newspapers almost every day. particulerly the Xunhuan Ribao (循環日報) in Hongkong, the Shenbao (申報) in Shanghai and the Shubao (述報) in Guangzhou inspired the Chinese with patriotism. In this text, the artlcls and the editorials printed in the above-mentioned three newspapers concerning the Vietnam problem are collected in order of the date. 続きを見る