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1.
図書 |
鈴木公啓編
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2.
図書 |
ヴァージル・ジーグラー・ヒル, デヴィッド・K・マーカス編 ; 川本哲也 [ほか] 訳
目次情報:
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3.
図書 |
吉川眞理編著
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4.
図書 |
ロバート・プルチック, ホープ・R・コント編著 ; 橋本泰央, 小塩真司訳
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5.
図書 |
鈴木公啓 [ほか] 著
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6.
図書 |
荘島宏二郎編
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7.
図書 |
島義弘編
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8.
図書 |
ブライアン・R.リトル著 ; 児島修訳
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9.
論文(リポジトリ) |
寺石, 悦章 ; Teraishi, Yoshiaki
概要:
シュタイナーとフランクルは中心的な活動分野こそ異なるものの、その思想には多くの類似点が見出される。人間は心魂と身体から、あるいは身体のみからなるとする見解が有力な現代において、二人は人聞が精神・心魂・身体の三要素からなるとし、人間を理解する
…
ためには精神の存在を認めることが必要不可欠だと主張する。一人の人聞が一つの統一された全体とみなされることを当然の前提としつつも、精神を心魂から区分し、精神は永遠の存在であって病気になることはないとする点、精神的な無意識の存在を主張する点など、その捉え方についても類似点は多い。また「人間の中心Jについての呼称は異なるものの(シュタイナ}は自我、フランクルは人格)、説明の内容には類似点が多い。とはいえすべての類似点について、ここで一度に検討することは不可能である。そこで両者の比較研究のための基盤作りを、まずは本稿において行いたい。はじめに二人の生涯、哲学的素養などについて必要な範囲で確認し、本来であれば論述の中心となるべき思想の比較については「精神・心魂・身体Jおよび「自我と人格」に関するごく基本的なものにとどめる。個々のトピックについては改めて検討する予定である。
紀要論文 続きを見る |
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10.
図書 |
大山泰宏著
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